ボクのカラダには記念日系のイベントに興味を示せない遺伝子が組み込まれているらしく、文化人類学的に言うところの「ハレの日」も「ケの日」どちらも同じてす。ボクの会社は今年は設立20年周年ですが、周年行事ほど根拠の解らないことは無いと思っていますから、なんもやりません。世の中には5年ごとに周年行事をする会社もありますが、あれはよほど儲かっている会社なんだろうと感心してしまいます。もちろん社員全員が楽しめるようなアットホームな周年行事なら別ですが、そうでもない限りそれほどボクは記念日系に興味がありません。

 

そんなボクが言うのもナンですが、きょう誕生日なんです。50歳の。ボクには記念日系遺伝子が搭載されてないので、自分の誕生日に対するワクワク感とか高揚感はありませんが、唯一思うことは「あ〜ボクの人生はあと20年なんだなあ、、、」ということです。ほかでもない、なぜコレを思うのかというと、祖父も父も叔父もみんな、近年70歳代で他界しているからです。今年も誕生日を迎え、ボクも棺桶に向かって一歩前に進んだんですから、まったくおめでたくありません。死への恐怖しかありません。

 

 

ヒトはだれでも死んじゃうのは当たりまえのことで、人類誕生以来一切の狂い無く脈々と受け継がれてきた事実であり、まったく否定できません。そういえば去年の秋にとある霊山の宿にひとり泊まったとき、隣室にご逗留中の宗教家風の御仁から「死後は6次元の世界があり、そこは魂が肉体を離れて集まる安住の地」みたいなことを説教されました。しかし冷静に考えればそんな世界はあるわけないし、それは南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土に行けるっていうお気楽浄土系の信仰もネタの本質は同じで、つまりボクが言いたいのは、人間が息をしなくなり心臓が止まるということが恐怖であるという点であり、その点に置いて、死後の信仰系の考え方は、ボクには何の救いにもならないんです。

 

近親者の死と向き合い、自分の死に向かってのカウントダウンが始まり、残りの時間が見えてくるのが50歳なんだと思います。なのであと20年で何をやるべきかをより明確にしないと大切な残り時間を無駄にしちゃいますから、だからボクは今日も必死に働くんです。ボクは自他共に認める変り者ですから、普通の人々と違い死への恐怖を宗教で回避できないタイプなんです。だから毎日クタクタになるまで働くことで脳内回避しているんだと思います。

 

でもね、こんなこと書いてても、このあとすぐクルマで事故って即死かもしれないし、突然地球に大量のUFOが襲来しレーザービームを浴びせられて人類が滅亡するかもしれないし、人間の命なんてはかないもんです。そうするとあと20年ではなく、きょう1日をどう生きるがとても大切な気がします。宗教を信仰してもクルマの事故は回避できないし、仕事も上手く進みません。どんなに釈迦やキリストに帰依しても、彼らは助けてなんてくれません。

 

つまりボクのような人間は、すべて自分が努力することでしか結果を導きだせないんだと思います。

 

さっきクルマのラジコのRN2から槇原敬之の「どんなときも」が流れてきて、なぜか泣きました。50歳代の初泣きが槇原敬之かよ、、、笑笑、と、やや複雑な思いです。やっぱラジオNIKKEI第2の選曲は秀逸で、ヲタおじさんの心に刺さります。

 

50歳代になってもこの感じで生きていこうと思います。

 

 

 

 

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