インバインドは国策だったわけですよ。4000万人とか。満蒙開拓団の歴史と妙に被るこの悲しみで、ボクは涙が止まらないことを書きます。



墓参りに行って、普段ならば気にも止めない慰霊碑が目に入りました。市営墓地のすぐ側に、ひっそり佇む「拓魂碑」。飛騨市古川町細江から100人規模の満州への開拓団を送り出し約半数が命を落とした鎮魂の記録でした。



昭和の初めの満蒙開拓団は国策です。困窮する内地の事情を中国東北部の経済開発、そして北方防衛の意味で送り出された人達です。碑文によると、送り出し地の飛騨市古川町杉崎は国から指定されたようです。期待と不安の交錯する中、大勢の若者や家族が手に手を取って満州に渡ったことは想像がつきます。そして余りにも凄惨な最後が刻まれています。


令和の今、延びない経済。減る一方の人口。中国に抜かれたGDP。この窮地に国が舵を切ったのが国策のインバウンドです。2020東京五輪を起爆剤とした国挙げてのインバウンド需要喚起で日本中にその旋風が吹き荒びました。


写真 TOKYO HEADLINEより


国策。とても崇高な響きです。しかし満州の開拓団の凄惨な歴史と令和のインバウンド蒸発パニックは、国策の結果において何らか変わりません。結局、国策であっても大きなトラブルに見舞われたら全て自己責任で、国は助けてくれません。そんな歴史的に当たり前の繰り返しを、今、当に、まざまざと見せつけられたわけです。多くの国民が期待に胸膨らませた国策は明らかに幻惑でした。



ここ10年ほどボクはインバウンドで稼がせていただきました。結構な額を儲けたことも事実です。だから国や行政に恨み節は言いません。しかし為政者を過信してはいけない。これが偽らざる本音です。


極寒の満州で非業の最期を迎えた同胞の無念に涙しながら、国策が繰り返す歴史の教訓を重く受け止めます。






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